ラベリングって知っていますか?
言葉のごとく「ラベルを貼る」事なのですが、人は実に多くのラベリングをしています。
例えば「火に触ったら熱い」とか「氷は冷たい」とか。
「走っている車にぶつかったら怪我をする」とか「高い所から落ちたら怪我をする、なんなら死ぬ」とか。
「火に触らない」「氷は触ってもいいけど冷たい」「車には気を付ける」「高い所から落ちないように気を付ける」
これがラベリングです。
この辺りは小さい頃、そうですね、まだ幼稚園にあがる前に自分で気がついたり、親から教えられます。
命に係わる初歩的な危機管理能力とも言えます。
次に道徳的な事を覚えていきますね。
幼稚園児のお仕事です。
「困っている人に親切にする」「人を殴らない」「人に怒鳴らない」「悪口を言わない」「物を盗んではいけない」「自分の事ばかり考えず順番に使う」
などです。
もっとたくさんありますが。
幼稚園に上がった頃から、自分という個から、課題は「対人関係」に移行します。
小学生になると道徳や国語の授業で「作者の気持ちを述べよ」や「相手はどう思うのか?」など、人によって考え方や感じ方が違う事。
違うからわからないかもしれないけど考えましょう、となります。
幼稚園以降は課題は対人関係に移るんですよね。
より深く掘り下げるのが、小学生以降です。
ですが、いじめなどの問題が起こり始めるのは小学生、悪質になるのは中学生以降になります。
法律を犯す、いわゆる犯罪を犯すのも中学生以降が大半です。
これはどういう事だと思いますか?
単純に「体が大きくなったから」では、どう考えてもありませんよね。
これはあくまでもわたしの考察ですけど「ルールを守らなかったことで何か得をしたから心を売った」「自分さえよければ人を傷つけても構わない自己中心的な思考」「善悪の区別ができないような何かしらのパーソナリティ障害」なんだと思います。
他にもありそうですが、いつまでも道徳や倫理の授業が行われるのは、幼い子供よりも大人の方がずる賢くなるからです。
本人の良心に委ねるしかなくなってしまうから、小さい頃からやっていい事、やってはいけない事を教えているんでしょうね。
性善説、性悪説どちらが正しいかなんて、個人によるだと思います。
ラベリングの話に戻ると、人は誰でもラベリングをしているんです。
「これはいい事」「この人はこういう人」「こういう時はこうする」「自分はこういう人」「こういうものには近づかない」
ラベリングをする目的は、脳の処理が追いつかないからある程度行動をオートマチックに行うためだと言われています。
ですが、自分や対人に関してはラベリングは注意すべきことだと思うんですよね。
ラベリングをする目的はいちいち考えているのが大変だからなのですが、自分も人も時代も移り変わります。
世の中変わる事が当たり前で、変わらない物を探す方が難しい。
それなのに1度貼ったラベルを、いつまでも剝がさない人は結構います。
もうボロボロなのに。
例えば恋人というラベルを貼りました。
別れました。
そうしたら「元恋人」にラベルを貼り変えなければいけませんし、「恋人」と「元恋人」は当然同じ言動はしません。
「前はこうだったのに」なんて、言っても仕方がない事で、新たにやり直さなければいけません。
「この人は性格が悪い」とラベルを貼りました。
その人はその時とはもう変わっているかもしれないし、全然違う一面があるかもしれない。
もしかしたら、あなたがそうだからその人もそうなのかもしれない。
でも人間は自分の貼ったラベルは間違えていないと信じたがるので、「性格が悪いところ」ばかりを見ようとし出して、いずれそれしか見えなくなる。
他の側面もあるのに。
柔軟性がある人は疑問を感じたら一度貼ったラベルを剝がしたり、貼り替えたりすることができるんです。
でも頑固な人はそれができない。
もしくはプライドが邪魔して認められない。
頑固に貼り続けたラベルはシールと同じで、べったりとこびりつきなかなか剥がせません。
新しいラベルを貼り直すこともできない。
変わりゆく世界で、謎に変わらない生きる化石になって取り残されていく。
自分はこういう人だ。
あいつはこういう奴だ。
それって一体いつの話ですか?昭和ですか?もう令和ですけど??
その思い込みは、自分の可能性も人の可能性も潰してしまいます。
やってはいけない事のラベルはきちんと貼り続け、法律とか、道徳とか、人道とか、美学とかね。
犯してはいけない範疇は、絶対に自分の手で守り切る事。
人や自分に貼りつけた思い込みは、常に疑う事。
このラベルで合ってる?
なんか違うかも?と少しでも感じたら、すぐに剝がす事。
なんなら新しく貼り直す事。
子供と大人の違いは、ラベリングの数です。
素敵な大人と老害の違いは、ラベルを貼り替えることができるかどうかです。
復縁したいなら、相手に貼られたラベルを自らの手で貼り替える努力をすることですね。
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